恐怖


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ネグレクトな親でした。幼い時から理不尽な恐怖と闘って暮らしてきた姉弟5人。

一番下の妹はまだ産まれてない頃の事です。すぐ下の妹が二番目の妹をおぶって私たち4人外で遊んでたら近所のおじさんが写真を撮ってあげるから水道道路で並んで、と言ってくれたのです。写真なんて撮る様な親ではなくて私達は喜んで撮っ貰いました。

現像してその写真を家迄届けてくれたのです。

その写真を受け取った母におじさんが何か話してたのは覚えている。

そしたら母は怒鳴り出して其の写真を丸めて投げつけました。

激怒した母の行動は恐怖しか無かった。

おじさんが腹を立て帰った後私は泣きながら写真を拾いました。妹が丁寧に伸ばすとそこには惨めな姿の私たちの姿が。幾ら貧しくてもあれは無い。サイズの合わないチグハグな粗末な洋服。弟は其れに大きな長靴を左右反対に履いて、それでもニコニコ笑って居る。妹はおぶい紐が食い込むほどあかんぼの妹をおぶって笑っている。私も笑っていた。

その笑顔が育てることを放棄した親の姿をも映し出していた。惨めな写真。だけどその写真は私たち子どもには宝物だった。荒れ狂う母の姿は恐怖でしか無い。自尊心を傷つけられた、それで当然な母だが其の荒れ狂う姿が怖くて哀れだった。私に対してだけ向いた虐待はその頃まで続き、ネグレクトは大人になるまで続いたのである。

曲がらずに育った私たち。何故か?

父が人一倍子煩悩であり、その父の目の届かない時間帯に近所のおじさんおばさんが目を光らせ、交番のお巡りさんが何故か私たちのところに毎日のように巡回してくれました。其の下りは小説(遠い夕焼けの冒頭、夢)の中に登用してます。

今でも感謝に耐えません。近所のキャバレーのお姉さんが母と私の事で闘ってくれ、その当日ようやく修学旅行に駆けつけられた事もありました。

どうしても行かせないと母が頑張っていたんです。

お姉さんは泣きながら抗議して、自分の洋服を私に貸してくれました。黒いスラックスとヒュウ柄の毛皮のジャンパー。6年生の時です。その姿は恥ずかしくも有りましたが心がとても暖かくて。集合写真は成る可く隠れるように並んだの覚えてるんですが。、笑

あの写真は二番目の妹が今でも保管していて惨めでも5人の宝物である事は今でも変わらない。

其の母が反面教師となり、結婚した私達は子供を大切に育てたのだから其れが母のただ一つの役割だったのかも知れない。

其の写真は見せるに耐えませんので載せません。

今でも虐待されて命を落とした子供らのニュースに私は大泣きするのである。襲い来る恐怖と共に。要らない子なら家の玄関前に置いていって!と叫んだ事も有ります。主人はおいおい、と私を窘めますが。😅

子らよ負けるな!強く生きろ!生きて人生を謳歌しよう。!

                 

    2024.2.18