「
足かせを外す」
自分に足かせをしない
それだけで少し楽になる
こうしなければいけない
急がなくてはならない
気が付けば
そんな言葉に囲まれている
心が欲する時
楽である時
物事は自然に動き出す
無理をしなくてもいい
時は進む
のんびりと
楽しく
それでも確かに
だから自分で自分に
足かせをつけなくていい
ふと
そう思えたら
それでいい
ー
「少し肩の力、大丈夫だから抜こう。」
「
足かせを外す」
自分に足かせをしない
それだけで少し楽になる
こうしなければいけない
急がなくてはならない
気が付けば
そんな言葉に囲まれている
心が欲する時
楽である時
物事は自然に動き出す
無理をしなくてもいい
時は進む
のんびりと
楽しく
それでも確かに
だから自分で自分に
足かせをつけなくていい
ふと
そう思えたら
それでいい
ー
「少し肩の力、大丈夫だから抜こう。」
ぼうっとしてる
どこかで罪悪感
それでも
ぼうっとしてる
誰にもあるのかな
私だけかな
そんな不安
駆け巡る
思えば
駆け足で生きて来た
強く無ければ
ここまで来れなかった
ただぼうっと
遠くで動け!
と声がする
こんな時が有って
良いんだと
反発してる
私が居る
なんだろねぇ〜
トミちゃん(妹)の迷子
茨城県から家族揃って東京に住んでいる、父の弟を頼り移り住んだのは、私が五歳になろうとしていた頃と記憶している。
東京・渋谷生まれの父が茨城県に移って来たのは終戦の日。
軍から逃げ、東京の檜原村に隠れ住んで一年のことだった。玉音放送を聞いたその日のうちに、渋谷へと帰った。
その時の父は、重度の栄養失調の状態である。
実は父は、その時、婿養子に入った家庭があった。
そこは東京の神田である。
妻との間に、生まれたばかりの女の子どもをもうけていたのだが、そこには戻らなかった。
その理由の一つに、姑の家内業に対しての、あまりの厳しさがあったと聞いている。
そして、もし神田に戻れば、家族からの非難と、負けたとは言え軍部からの追求の手が及ぶかもしれず、気の弱い父は戻ることをしなかったのである。
渋谷の友人から、野菜や食べ物の豊富な田舎へ行くべきだと言われて、茨城県まで逃げたのであった。
取手というところに一応落ち着いて、そこで地方周りの一座の一員となった。
そこで、まだ未成年の私たちの母・美子と出会ったのである。
一回りも歳の違いがあった。
父の目で母を見ると、それは危うく見えたらしい。男の役者の餌食になる危険性も孕んでいた。
また一際目立つ容姿だった。私も写真を見たが、「風と共に去りぬ」のビビアン・リーに少し似ていたモダンガールだ。
母からすると、大人しくて優しい父は安全に思えたのであろう。
いつしか男女の仲となり、その一座から抜けて一緒に住むようになったのである。
やがて男の子が生まれた。私の兄である。
その子を入籍したくても、軍から逃げ、婚家からも逃げていた父は、死んだことになっていて戸籍が抹消され、渋谷の実家でもそのことは認知されてなく、婚姻も出生届も出来ない状況だったのである。
そんな時、一歳を過ぎていた兄が麻疹にかかった。
まだ無知であった母は、子供の要求に任せ、外で遊ばせてしまったのである。
その夜、兄の様態が急変した。
医者を呼ぼうにも、田舎のこと、遠くて夜中であった。医師が駆けつけた時は手遅れで、兄はその短い生涯を終えてしまったのである。
だから戸籍には兄の名は無い。
名を誠(まこと)と言ったが、無いのである。
母は半狂乱であったらしい。
当時は火葬ではなく土葬であったから、母は何度か掘り起こして兄を奪い返したかったらしい。
それで私を早くもうける算段をしたのか、自然に妊娠したのか定かではないのだが、昭和25年三月に、私はこの世に生を受けた。
その時になって戸籍の復活を試み、それには父の以前の婚姻から調べて裁判をしなければならなくなり、神田の家と離婚で争った。
その裁判で、姑のあまりの厳しさが問われ、父が勝訴して、私の姉には一切会わないとの約束の上、離婚が成立、慰謝料は神田の家から貰うことになったのである。
そこに私は疑問が生ずる。
確かに姑は厳しすぎたのかもしれない。
だが妻と子どもには父に責任がある。
それを頭にも置かず軍から逃げ、終戦になっても家族の安否も気にかけず、また逃げた。そこにである。
だから私には、本当は姉がいるのである。
今はかなりの歳で、生死も分からないのだが……。
ま、ともかくも戸籍が復活し、私は父と母の子として、のこ、としての人生が始まったのである。
暫くすると、やはり東京に戻りたくなって、今の西武線の西武柳沢に移り住んだのである。
その時点で、私の下に妹二歳半と、弟が生まれたばかり。
その三人兄弟となっていた。
母はどういう訳か、子供の世話をしたがらなくて、私は妹に始終追いかけられ、その上、生まれたばかりの弟の面倒も言いつけられることが多かった。
私は鬱積していたのだろう。
妹トミから逃げたかった。
ある日、近所の同い年の男の子を持つおじさんから、釣り堀に誘われたのである。
私にはとても魅力的な誘いだった。
父は仕事、母ちゃんは家にいた。
そこでトミから逃げ回り、振り切って、そして釣り堀に行ってしまったのだ。
それは楽しかった。
釣るのを見ているだけではあったけど、かなりの解放感を味わって、夕方家に帰ると、母ちゃんの顔色が悪くて、開口一番、
「トミは何処だ!」
と怒鳴られたのである。
私が釣り堀に行っていたのを知ると、悪魔のような顔つきになった。
そしてトミの迷子が発覚したのだ。
さすがの母ちゃんも必死にあちこち駆けずり回って探すも見つからない。
私も後を追っかけて必死に探した。
ごめんよ、ごめんよ、トミ!
胸の中はそれでいっぱいだった。
私は逃げた!トミから逃げた!
ごめんよ、ごめんよ!
そう胸の内で叫びながら走る場所は、幼いから自然といつも来ている商店街へ向いた。
どこを見ても、覗いても、いない!
その時、先の雑貨屋さんの向こうから、聞き覚えのある泣き声がするのが耳に入った。
お米屋さんからだ!
急いで覗くと、そこからは見えない。
泣き声だけが店の中に響いている。
もう少し奥に入ると、左に米俵が積んであるはずだ。
その米俵の影になるように座って、両手にみたらし団子を持って、大口を開けて泣いているトミを発見した。
入口でオロオロしている母ちゃんに、
「居た!」
と叫んだ。
気がついてトミが私を見ると、
「姉ちゃんのバカ〜、バカ〜!」
と、さらに大泣きになった。
奥で母ちゃんが店の人に謝っている。
「何してもね、ねえちゃんが、ねえちゅんが!って大泣きしてね、手に負えなくてね。あ〜良かったです。」
と、おばさんが笑ってる。
……帰ったら叱られるな、母ちゃんに……。
と恐れながらも、私はトミの両手に持っている、みたらし団子が気になって仕方ない。
ウチはおやつなんて無かったから、それは必然的なことだったろう。
その甘すぎる考えと香りは、
家の中に入った途端、消えた。
後は想像にお任せだが……。
私はその夜、お尻のほっぺたと二の腕が腫れて、
お風呂に入れなかったのである。
なんで入らないのか?と父ちゃんが聞いたけど、
余計にくやしくなって、
知らん顔して煎餅布団に顔をおっ付けて、少し泣いた。
風に乗って、今でも時折、あの時の甘い香りと共に、そのヒリヒリした痛さが、もどって来るのだ。
遠い昔、私の汚点となった事をエッセイに書きました。🍎
若い、まだ中学を出て何年もしてなかった頃、もう私は社会人だった。
大きな職場、何人もの人が働いていてね、だから社員食堂も充実してたの。
あの頃思い出せば恥ずかしく、恋多い女の子でした。
恋のきっかけは食堂でお昼をを食べていた時、パック入りの納豆を食べようと、あの小さな、小さな辛の袋をムクっとした指で必死に切ろうとし時なの。
袋切れました。
力が入って居たので何と、隣の男性まで飛んで行った。
怪訝そうな横顔を見て必死に謝ったのよ。其れは当然よね。
そしたらその人俯いて、「気にしなくていいよ。」
って言ってくれたの。ジュリーのような髪型の人。私の恋心は其の一瞬で始まったのよ。
食堂に幾度も居ないかな?会えたらいいな、なんて思ってさ。
つま先立ちで立ってるように背伸びして、美しくもないのに口紅の色を替えたり、心は切なくなるばかり。
でもねそんな恋心は長くは続かなかったの。
どうして?って
やっと食堂で会えたのよ。
もう心臓バクバク。
その人が真正面から口を開けて笑ったの。
一瞬で目が冷めた。
何故って?
其れは前歯飛び飛びで金箔だったの〜。
脱力感だわよ。歯の治療だから仕方ないのだけど、その頃はまだ見た目重視、自分の事はほっておいてね。
でもね、そんな若い頃が有って良かったわ、だってウチ旦那さんに出会った時、違和感なかったもの。金歯で無かったから。😆
若いって素晴らしいね。\(❁´∀`❁)ノ𖤐´-
涼風を
待ち焦がれて
幾日か
指折り数えて
深き溜息
秋の訪れ
遠く思ゆる
